信賞必罰というけれど


信賞必罰ということで、人事評価を行うことはよいことであると言われるが、これはとても難しいことのように思う。


信賞必罰と言っている管理職の人は、自分のチームが結果を残せなかった場合、自分を正しく罰することはできるのでしょうか?


そもそも中間管理職の人が「信賞必罰で行きます。」と言って、その言葉を信頼する部下を持っている中間管理職の人は、いるのか?(まぁ、いるか、いないか、と言えばいるのだろうが。)


信賞必罰という場合は、公開された基準があり、かつ、客観的にその基準を満たしているか、どうかが判断できる必要がある。

さらに、公開された基準があったとしても、メンバー全員がその基準をクリアしているのに、チームとして結果がでない場合は、どのように処遇するのか?
このようなケースでは、オーナー以外の中間管理職者では、チームとして結果が残せないため、メンバーが基準をクリアしても処遇することはできない。そしてその中間管理職者は、メンバーにチームとして結果が残せないのだから仕方がない。という違いない。では、管理職者の処遇はどうなるかというと、オーナーからみると中間管理職者はよくやっていると言って、対した罰を受けない。中間管理職者は、自分で決められる処遇は、辞職しかないので、結局、必罰とはならない。


では、逆にメンバーは基準をクリアできていないのに、チームは結果を残した場合。
このような基準を作成した管理職者は、罰をうけるべきである。しかしオーナーからみればチームとして結果を残したので、よい評価を受けることになるはず。



信賞必罰とは、自分がかなりのお金や人を動かすことができるようなオーナーでなけば、口にすべきではないのである。
または、オーナーも含めた会社全体として、信賞必罰が実施できるような人事評価制度がなければならない。

日本では、信賞必罰が大切なことは、みんなわかっているが、中間管理職者だけが、言っても白々しい言葉となる。



■わかりやすいと思う人事制度

サイバーエージェントの場合 CAバンヅケ制度
http://ameblo.jp/shibuya/entry-10017566955.html

はてなの場合 社員どうしでボーナスを計算する
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20051212/1134382615